☆ 事業承継 物語 ☆ 物語の登場人物 ・山本雄三 山本設備株式会社の創業社長
後継者には大きな葛藤がつき物です。親が成功させた企業をうまく経営して発展させて当たり前で、業績不振にでも仕様ものなら何を言われるか分かりません。そして、創業者は「0」から始める勇気と才覚を持っていますから、たとえ事業が失敗してもやり直すことができます。しかし、後継者は「0」から事業を始めた経験がありませんから、現状維持する事で精一杯になります。 常に先代と比較され、業績をあげて当たり前で、子供のころにオシメを変えてくれた古手の役員を使いこなさねばならない。 小倉俊夫は物心ついたときから社長になるのが夢だった。 何でもいいから社長になろうと思っていた。両親は朝早く畑にでて農作業をして、それから会社に出かけて仕事をし、夕方になるとまた野良仕事に精を出していた。もちろん、休日は農作業で明け暮れる。そんな両親の姿が俊夫の夢に影響を与えていたのは間違いない。いくら身を粉にして働いても報われることの無い百姓よりも、努力次第ではどんどん豊かになれる事業家にあこがれていたのである。当時は農業法人による経営は一般的でなかったし、空腹を満たすことが優先課題で、健康を考えた食生活、減農薬や無農薬による農産物が高級デパートに高価な食品として販売されるとは想像もできなかった。昔と同じ作物を昔と同じやり方で淡々と繰り返していた百姓というビジネスは俊夫には魅力的な仕事にはみえなかった。 長男は俊夫が小学生になったときに家をでて大阪に住み込みで働いていた。 次男は高校をでると大手電機メーカーに就職して、家を出ていた。俊夫が中学生になったときである。ただ一人の姉は20歳の成人式を目前にして病気でなくなっていた。残っているのは俊夫一人で、週末は農作業で一日潰れてしまった。 10年後には独立しようと思っていたので、金をためることと仕事を覚えることは俊夫が自分に課した責務だった。金をためるには使わないのが一番なので、めったなことでは遊びに出かけなかった。仕事も朝早く出社して、だれよりも遅く帰った。これが一番金がかからないのである。 会社の寮は朝と夜の食事がついている。だれよりも長く仕事をしていると不思議なもので商品に愛着がでてきて、どうしたら商品が喜ぶかが分かってくる。商品は売れるのが一番うれしい。すると、商品を磨いてきれいにしてやる。面白いように商品が売れてゆく。すると仕事が次第に面白くなる。仕事の覚えは群をぬいて早い。しかも商品を大切にする。商品もこころを理解している。 また、だれもが嫌がる日直や宿直も率先して引き受けた。配達や取り付け工事のような汚れる力仕事も喜んでこなした。入社2年で主任になり、3年で係長、5年で部長になった。もちろん異例の昇進である。経営者の信頼も厚く、将来を嘱望されていたのは言うまでもない。 その封筒には100万円の大金が入っていた。 |
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